| 過去と未来と繋ぐ地雷 榎浦 敬 火葬場の建物から煙突を失くしたヤツって、本当に低脳だよな。 子供の頃、曾祖母が死んだ時の火葬場には煙突はあった。親戚のおばちゃんが、煙突から出る煙を見て、今頃天国に向かってるんだねと泣いていたことを思い出したよ。文化を反故にするテクノロジーを採用したバカ役人は、晒し首にした上でミイラにでもするべきだよ。 今頃、美智代も荼毘にふされているんだろうな。ここまでやって来たけれど、さすがに葬儀には出席できなかった。最後に見た美智代の顔が泣き顔で、その次が遺影って言うのは辛いし、それ以上に俺がかける美智代に対しての言葉は、とても葬儀に相応しくないんだ。俺も大人になっただろ? それにしても立派な火葬場だ。故郷に戻るのは来月以降だと思っていたけど、こうして田舎の景色をゆっくりと眺めるのも悪くない。きっと、次にこの町に来るときは、こんなにゆっくりとした時間なんて過せなさそうなんだ。 山の中腹から見渡す田園風景は、子供の頃から変わらないね。変わってしまったのは俺達の心持だけで、そのことが人間の弱さを象徴しているのかもしれない。 高校の同級生だった美智代と恋愛関係になったのは、俺が大学2年のときだった。高校時代の俺にとって美智代は、他の連中と同く「憧れの対象」でしかなかったし、俺も適当に彼女を作ってたしね。そもそも、愛だの恋だのって、「それでどーした」ってレベルだったし。恋愛なんてファッションのひとつみたいなものだったから、まあ、深刻に人を愛するなんて意味が判っていなかったんだ。 でもいつも美智代の存在は気になってて、姿を見れば自然と目が向くくせに、目が合うと俺はその視線を無造作に切ってしまっていた。目が合ってしまうと溶けてしまうかもしれないと、真剣に思っていたよ。 高校卒業後、俺は東京の大学に進み、彼女は地元の銀行に就職していたけど、ある日の夕刻、アパートの電話が鳴り 「東京に来ているから会わない?」 と言ってきた。その声の主が美智代だった。地元のミスなんとかに選ばれ、その仕事で来たのだと彼女は言った。 品川のホテルのバー再会した俺達は2時間の昔話を楽しみ、 「カズの部屋に言ってみたいわ」 そう切りだした美智代は世田谷線の車内で、今日は部屋に泊めてね、あなたのカノジョにしてね、とハッキリと笑顔で伝えてきた。 昔から好きだったの。気づいてくれなかったのね。バレンタインの時だって、お祭りの時だって。何故かあなたは私を避けていたわ。彼女とデートしている姿が悲しかったわ。自転車に二人乗りした時の事を覚えてる? 私、告白したつもりだったわ。でもね、気づいてくれなかったよね。 そう言って泣いたは、アパートの鍵をノブに刺しこんだ時だった。そして俺達の遠距離恋愛がスタートした。 目前に広がるのどかな景色。美智代と過した年頃には、こういう田舎の景色に向かって嘔吐はしても、癒しなどという感情を持った事などなかった。 28歳になった美智代は、どんな気持ちでこういう田舎の風景を眺めていたのだろう。 暖かな陽射しに照らされた木々の緑。ぼんやりと眺めると、緑一色と思われるこの景色を構成する木の葉は緑色だけでなく、茶色や黄色の葉も存在している。ひとつのものを眺めすぎてはいけないって、何かに書いてあったな。北方謙三だったっけ。The Modsの曲だったかもしれない。でもそれが若さの正体かも知れない、とか思ってる俺は結構ナーバスになっているな。 十数ヶ月付き合っていくうちに、美智代は俺と付き合うことではなく、俺を利用して、故郷から出て行こうとしているのではないかと、俺は疑ってしまうようになっていた。 この田舎から抜け出すためなら、誰だって利用したい。俺と居たいのではなく、俺の住んでいる都会に居たい。それだけなんじゃないかと考えていた。 どうしてそんな疑念にとらわれたのか。それはもうはっきりとは思い出せない。二人の関係が深くなればなるほど、その疑念も深くなっていったことをよく覚えている。 家族に都会に出してもらえなかったという恨み話。つまらない日常に飽き飽きしている。俺の生活がうらやましい、などなど。そこに俺に対する愛情を感じられなかったような気がする。 そんな疑念が脳内を支配し尽くした頃、俺のアパートに美智代の荷物がダンボールで10箱届き、その日のうちに彼女はやってきた。 「家出しちゃった」 家出した翌日、何故か渋谷円山町のラブホに泊まったよな。確かグラミー賞をTVでやってて、明日はディズニーランドに行こうって。まだ舞浜駅がなかった頃で、土曜日だったかな。東京駅でディズニーランド行きのバスに乗る人の列の長さにうんざりして家に帰った。美智代は帰りに一人で買い物に行き、俺が先に部屋へ帰ると知らないおっさんとおばさんがいて、 「誰だ」 って俺は言った。誰だって、考えれば判るよな。美智代の両親は俺の親と一緒に、前日から俺の部屋で俺達の帰りを待っていた。俺の母親は夜が明けてすぐに帰ったようで、それから半日近く、両親は俺の部屋で過ごしていた。 「あなたなんか、カズアキ君にふさわしくないわよ」 おかあさんは、そんなとんでもないことを言っていたな。あれは本当に意味不明だよ。 確か数時間の話し合いをした後、両親は美智代を連れ去った。俺が見た美智代の最後の顔。その時の泣き顔だった。 俺は美智代を引き止めるでもなく、両親に彼女への愛情を示すでもなく、ただ見送った。殆ど何もしゃべらなかったような気がする。 美智代の両親を打ち負かすことなど、今の俺には出来やしない。そんな思いが、俺をその場に凍りつかせてた、そんな記憶があるよ。 愛していなかったのか? 友人たちは俺を責めるように言った。愛してるって何だよ。俺に何ができる? 俺の言葉なんて、何を言っても嘘っぱちにしか聞えないはずなんだ。何を叶えられるって言うんだ。好きだから一緒に居たい、そんなのは愛じゃない。そう強がった。しかし本音だった。 地元大学の教育学部に通っていた美智代の友人は、教育実習中の土日を利用してまで俺のアパートに乗り込んできて、何やかにやと説教していった。 「バカよ。あなたは」 何度もそう言われた事だけをよく覚えているが、横浜の中華街で点心を奢られたことが私の人生の汚点よ、と彼女は会う度に言っている。もし、葬儀に出席して、彼女に出会ったら、またそれを言っていたのだろうか? しかし、あの時の俺の選択は間違っていなかったと思う。 二十歳そこそこの脛齧りに、都会で家庭を築ける覚悟があるはずもない。実際、彼女はその後、俺とは連絡を取ろうとしなかった。甘えたガキの恋愛だ。自分に酔った無責任な台詞を吐かなくて良かったと。 そういえば、美智代が連れ去られた後、呆然とTVドラマを見ていたってことをよく覚えているんだ。主人公が斉藤由貴で、主題歌がブルーハーツ『トレイン・トレイン』だった。でも、ブルーハーツといえば、『リンダ・リンダ』だよな。 「……いつか君と出会い話し合うなら、そんな時はどうか愛の意味を知ってください」 いまさらだけど、俺はようやく「愛」の意味を知ったよ。それも5日前に。初めての子供は女の子。 取り上げられたばかりの我が子をガラス越しに一時間見つづけたことで、俺の人生観は根本から変わった。まるで我が子と共に新しい俺が産み落とされたようだったよ。それまでの人生のどんな瞬間よりも感動したし、その感動は想像をはるかに超えていたね。この感動のおかげで 「ああ、俺はこの先、この子の為に生きなければいけないんだ」 という実感を感じることが出来たし、それはこれまでの俺が感じたことのない程、心地良く強い責任感だった。 だけどその衝撃の余韻が、何故か体内から消えていかなくて、なんだか忘れ物をしたまま出かけてしまったんじゃないかって時のように、ここ数日間釈然としない思いに苛まれていた。 「この先の俺の人生は、この命の為にあるんだ」 そう。 俺は先の人生のことだけを見ていたんだ。美智代が死んだと電話で聞いたとき、俺ははっきりと自覚したよ。 美智代が交通事故で死んだって聞いたとき、俺は最初に、 「どこで?」 って聞いた。そして故郷の町で死んだと分かったとき、すぐにこう思った。 「あのまま俺と付き合ってたら、嫌いだったこの町に住んではいなかっただろうし、だったら28歳なんて若さで死ぬこともなかった」ってね。 そして、 「ある意味、俺が殺したことになるのかもな」 と思った瞬間、そう、それこそ反射的にこう思ったんだ。 「美智代に対しての後悔は、わが子の命に対する冒涜だ」 彼女との別れがなかったら、彼女は死ななくとも、あの子は産まれてこなかった。彼女の死を俺が悔やんだら、我が子の命を否定することじゃないか。 子供が産まれるまでの俺の人生には、無数の選択肢があった。あの時こうすればよかったとか、あそこでこうだったらとか、そんな目で過去を振り返るときなんて、よくあることだろう? だけど、気づいたんだ。捨て去られた選択肢を含めた俺の過去全部が、わが子の命として注がれたって分かったんだ。どの一点で狂いがあっても、あの子は産まれなかった。 人は誰でも人生の途中に何本もの分かれ道に立ち止まり、ひとつづつどちらかの道を選び、歩んできた。歩まなかった道は無数にあって、その数だけ可能性を持っていたんだ。 そして、我が子が産まれた瞬間、俺が選ばなかった選択肢は全く無価値なものとなった。おぼろげながら心のどこかに存在したその道は、過去に遡ってすべて消え去り、その代わり、俺の誕生から娘の誕生までの俺が実際に歩んだ一本の太い道だけが強く感じられるような気がするんだ。って、判るだろ。 だから俺は自分のこれからの人生がこの命の為にあると感じ、生まれ変わったという感触を得た。だけど、この存在が俺の人生からすべての後悔を消し去ったんだということに、俺は気付いていなかった。だから、釈然としなかったんだ。 この命の存在は俺の過去と未来を繋ぐもの。つまり俺の人生そのものなんだ。後悔のない人生。自分の人生が誇れるものだと思わせてくれた存在。その生命を守ろうとする覚悟こそが愛の意味だって、今頃わかったよ。 だからさ…… 「ごめんな」って言葉は、遺影を前にして使うつもりがないんだ。それに望んではいないだろ。 美智代は俺に 「あなたは挫折を知らないわ」 って言っていたけど、その後は挫折だらけだったよ。 関係ないのかもしれないけど、俺はこんな存在を持つことをずっと恐れていたような気がするんだ。前進を妨げる障害として潜んでいるように感じてたんだ。それは美智代との別れの場面でもそうだったかもしれない。この存在は若い男にとっては地雷のようなものなのかもしれないよ。なんだかそんな恐さなんだよ。 確かにこの地雷は青臭い観念を吹き飛ばす威力があったよ。踏まないと壊れない鎧を俺は着てしまっていたんだろうね。誰もが同じとは思わないけど、少なくとも俺はこの地雷を踏まない限り、こんな大切な事に気づかないような男だったのさ。 そして地雷は踏むべき場所に効果的に埋めてあるもので、あそこではなかったってだけだろう。あそこではなにがあっても踏む事はなかったのさ。 「ありがとう」って言うのは、葬儀に相応しくない言葉じゃないよな。 二人が別れてから8年以上もたっている。正直にいえば、その頃の心の傷なんて全く忘れてしまっていたよ。だけど、美智代の死のおかげで、俺は大切な事に気づけたんだ。凄く生きやすくなったよ。それは遺影に向かって言うべきなのかもしれない。 でもさ…… 俺達、昭和天皇が崩御した日、昭和から平成に変わる瞬間にセックスしてたよな。元号越しのエッチだって。 「この先、二人が別れてしまって、結婚して、子供が産まれるとするよな。その子に、『平成になった時、何してた?』って聞かれたら、俺達、答えられないよ。その瞬間には、必ずお互いの顔を思い浮かべちゃうんだ。趣味悪いよな」 って言ったよな。ここに来る前、最後にそれを思い出しちゃって、そのうえで 「先に死ぬなよな。せっかくの楽しみが無くなったじゃねえか。俺だけの思い出じゃつまんねえよ」 って遺影に向かって言えないだろ。まあ、許してくれよ。でも、お父さんにだけは逢おうって思って、ここに来たんだ。娘を持った男として、あの時の非礼だけは詫びようと思うしさ。なんて伝えたらいいのか、まだ分からないけど。どんなに辛いか想像も出来ないけれど。 ※ 火葬場の駐車場に泊めた車の中から、俺はずっと出口の扉を眺めていた。葬列があの建物に入ってから、一時間近く経っている。俺は美智代のお父さんが一人で姿を表すと、確信を持って待っていた。 お父さんの顔ははっきりと覚えてはいなかったが、 「私は父親似なんだよね」 そう言っていた美智代の言葉を信じて、俺は辛抱強く待ち、そして扉から男性が現れる度に車外に出て、俺は建物に向かって顔を晒した。 そんなことを何度かした後、俺に向かって歩み寄る白髪の男性が現れた。彼女に似ているかどうか、あの時、俺の部屋で拳を震わせていた人かどうか判らないまま、俺は頭を下げ、男性の言葉をその態勢で待ちつづけた。 「タニモトくんですね」 穏やかな声。 「はい。このたびは……」 声が震えた。 「ここまで来てくれてありがとう。お子さんが産まれたんだってね。おめでとう」 震えが止まらなかった。言葉はなにも浮かばない。 暖かな笑顔。 声が発せられるまで、彼は俺の手を握りしめてくれた。 終わり あとがき ご無沙汰しております。前(?)マスターの榎浦です。 今回はBLUMBARのマスターを休業したことについての説明責任を果たすために投稿させていただきました。 短編投稿サイトに投稿しておきながら言うのはアレですが、これは創作ではなく、殆ど実話なんです。 唯一違うのは、火葬場に行かなかった事くらいですね。当日はゴルフに行ってました(汗 で、今回なにが起きたかと言うと…… 妻と別居してしまいました。10月ごろからずっと話し合いを続けた結果です。 原因を全て書くと、面白くもなんともない文章を延々と続けなければいけないので割愛しますが、単純に言うと「性格の不一致」ですかね(w 揉め事の原因になったものが2つあって、そのひとつはこの時の彼女を別れた後に、それが原因でやらかした「コト」に起因しているのですが、根本的には私が自分の子供に感じたような愛情を、結婚するときに妻に感じていなかったからかもしれません。 妻は「あなたと結婚して後悔してる」と言い、そのときに初めてこの時の話をして、その言葉は子供の命を冒涜していると伝え、妻にその言葉を撤回させました。 それで、子供は私が引き取りました。ちなみにもう一人娘がいます。 妻もそれにははじめから同意していましたし、周囲からはいろいろ言われましたが、私が子供を失ったら、多分、人間としてヤバイ状態になるだろうと思いましたし…… まあ、子供に対する愛情はこれで理解していただけたのではないでしょうか? ってなわけで、現在、父子家庭です。 まあ、妻は夜の仕事をしていますし、その辺もあって、子供には分からないように別居しているって感じですね。朝の支度と洗濯だけは妻がしていますが、あとは私がやっています。 離婚はとりあえずしないのですが、復縁はないでしょう。 今は仕事も非常に忙しいので、バタバタしながら書きました。 殆ど読みなおしていないので、多分、誤字等もあるでしょうし、上手く書けていないと思います。 まあ、創作でもないですから、感想は別に良いです。(感想を書くようなものでもないでしょう) とりあえず、長年続けてきたBLUMBARですし、ちゃんと説明もしないままになっているのも気が引けていました。 これで実情を理解していただければ幸いだと思っております。 何はともあれ、新生BLUMBARに活気があることに感謝しています。今後ともSleepdogさんを盛りたててあげて欲しいなあと思っています。 マスターとして帰って来れるかどうかは別にして、そんな事が言えるような状況になれたら良いなあと思っております。 でわでわ。 |