| 「It Came from Human Works」 卯月音由杞
<Episode 1> 電子レンジ [Microwave] 大学時代のある冬の日、同級の友人が住むアパートを訪ねたときの話だ。 以前からよく遊びに行っていた彼の家に、その日はなんのために行ったのか、よく憶えていないが……時期からして、お互いにレポートを分担して終わらせてしまおうとか、多分そんな用事だったろうと思う。 その友人に「なにも食うものがないからメシは買ってこいよな」と言われていたので、大学生協の売店で冷めた売れ残りの弁当を買っていった。やたら安くて、財布の軽い私にはありがたいメニューだ。それに以前彼の家に遊びに行ったとき、独り暮らしにしては大きな電子レンジが置いてあったので、それで温めなおせばいい、と思ったのだ。 「こんにちは。ボクだけど……入るよ?」 不用心にも戸締りしていないアパートの玄関ドアを私が開けると、いきなりキッチンという狭い間取り。角部屋のためにやたら細長いそのキッチン奥から、友人が顔だけ見せて応えた。 「……おう、来たか。遅かったな」 ヘヴィースモーカーの彼はいつものようにくわえタバコをして、目を細めていた。 「ちょっとね……いきなりでなんだけど、レンジ使わせてよ」 午前中の講義が長引いてかなりの空腹状態にあった私は、さっそく弁当を温めようとしてキッチンにある銀色の電子レンジの蓋を開けた。 「……」 瞬間、絶句する。 その中には本がぎっしりと詰まっていたのだ。すべて黄土色の背表紙の文庫本。 「……どういうことだい」 「ああ、それな。なかなかいいだろう?」 友人が笑顔でキッチンに出てきて、吸いかけのタバコを流しに投げ入れる。彼は、火が消えるときの間の抜けた音の余韻を楽しんだかのように、肩をすくめて言った。 「その内法サイズだと、文庫本がちょうど上下二段組、前後にも二列で、六十冊ぴったりと入ってくれるんだ。おあつらえ向きの掘り出し物だぜ」 なにを言ってるんだ、この男は。 なにやら得意げな表情の彼に、私は二百円のノリ弁当を持ったままで反論した。 「いや、そういうことじゃなくて。これは本棚じゃなく、食べものを温めるために作られたものなんだからさ。そのとおりに使ってやらないと……可哀想だよ」 「誰が可哀想だって? 電子レンジが、なんて言うなよ」 「これを作った人が……かな」 彼は、ッはン、と文字では表現しにくい音を喉の奥から発声した。馬鹿にするように口の端をゆがめる。 「知ったことかよ……俺に必要だったのは、文庫本が六十冊入ってくれる内法寸法を持った箱なんだ。食いものが温まろうが冷えようが粉々になろうがどろどろになってジュースになろうが関係ない」 「……」 「だいたい、作ったやつに使い道を限定される道具なんてまっぴらだ。どう使うかなんて持ってるやつの自由じゃないか。ハンガーかけになったぶら下がり健康器なんていい例だ」 「例えが古いな……」 「うるさい。いいか? 俺は、食い物を温める箱より本をしまう場所が欲しかったんだ。それも、六十冊ぴったりとな。なかなかそんな本棚は見つからない。自分で作ってやろうかと思ってたら、そいつに出会ったんだ。今、その電子レンジはそこらの本棚にはできなかったことをやってのけてるんだぜ。きっと満足だろうよ」 「なるほど……」 友人のこの無茶苦茶な意見はしかし、少しばかり説得力があるように思えた。 もしかしたら、彼の持っている電子レンジの方がうちの電子レンジよりも幸せかもしれない。彼の電子レンジは使命感にあふれ、内側を文庫本で満たされて世界で唯一の指令を遂行していた。 なかなかうらやましい身分ではないか……。 しかし、今はそれよりも重要な問題があった。 「ところで、ボクの昼飯はどうなる」 「ああ……」 彼は新しいタバコに火をつけると一口だけ吸い、頭の後ろをかきながら面倒くさそうに言った。 「冷めた弁当も結構うまいぜ」 次の瞬間、私は「江戸川乱歩全集」と表紙にある文庫本を次々と床に放り出していた。 頭に血がのぼって、まるで電子レンジで温められたみたいだった。 <Episode 2> ほら、見えるでしょ? [See-Through] 何年か前のこと、夏休み直前の暑い日……つまり、平均的な普通の気候の日の話だ。 私の家には例の友人が来ていた。彼が遊びに来るのはよくあることだが、その日は、前期の講義も試験もすべて終わったのを記念してふたりで一杯やるか、ということになっていたのだ。 おまけにプロ野球のオールスター戦の日でもあったので、テレビでナイター観戦をすることになった。私のひいきにしている投手がファン投票で選ばれ、先発のマウンドを任されるのだ。見逃すわけにはいかない。 試合開始前、まだ夕方だが「ビールなしで野球が見られるか」という友人のもっともな意見に従い、酒と、事前に作っておいた料理を出すことにした。 しかし、キッチンから冷えたビールとつまみを持って戻ってきたら……テレビの調子がおかしいのだ。 「こ、壊したのか?」 私は疑いの眼差しを彼に向けた。画面は不自然に上下左右にうごめき、めちゃくちゃな発色と雑音の嵐だ。 「知るかよ。いきなりこのありさまだ。だいたい、いい加減古いだろ、このテレビ」 確かに……実家で使わなくなったテレビを持ってきたもので、人間で言ったらアブラハムくらいの長生きだった。 「ど、どうしよう。オールスターが見れないなんて……」 「まあ落ちつけ……とりあえず調べてみるさ」 と彼が言ったので、ビールの三本追加を条件に修理をお願いすることにした。 機械に詳しい友人のことだ。ひょっとしたら、直せるかも。いや、直してくれ……私の期待の視線を受けて、彼はテレビの裏蓋を外し、なにやら中身をいじくりはじめた。 「……アツいな」 「そりゃ、夏だからね。クーラーなんてつけられないから、我慢してくれないか」 「テレビの中がだよ。それはともかく扇風機くらい買え。お前も、もう少し涼しそうな格好したらどうだ?」 私は夏はいつも黒系の半袖シャツにタイトジーンズ。彼だって似たようなものだが……。 「余計なお世話だよ」 「ッはン……そういや最近、街中でよく見る、あれ。多いよな。ほら……スケスケで涼しそうなの。なんて言ったっけ?」 突然そんなことを言った。 なにを言ってるんだ、この男は。 私は眉をしかめながら答えた。 「キャミソールファッションのことか? これだけ暑くなってくれば、薄い服を着たくなるさ。だからって、街を歩いてる他人のファッションにわざわざ文句をつけなくたっていいじゃないか。それとも、君はそうやっていつもじろじろ女の子の服を見回しているのか?」 全く破廉恥な……そう思っていると、彼は私を目の端で見ながら答えた。 「バカ。誰が服の話をしたんだ」 さっきまで自分でしていたくせに……そう言いたいのをこらえて、私は聞き返した。 「……じゃあ、なんのことだい」 「あの半透明のパソコンがヒットして以来、最近じゃあなんだって半透明だろう?」 「ああ……シースルーのことか」 「それだ、それ……パソコンの周辺機器だけならまだしも、ラジカセ、ウォークマン、携帯電話、ゲーム機まで……そのうち、たとえば冷蔵庫とかエアコンとか電子レンジまでそうなるかもな」 「電子レンジは透明にしたら電磁波が洩れて危ないと思うけれど……」 「たとえば、だ」 「まあ、流行というか、それが最新のファッションなんだろうよ」 私は自分の考えを口にした。 「安易にデザインを真似るようなプライドの低さには閉口するけどね」 「そういうことを言ってるんじゃない。いいか?」 彼はこちらに向き直って、言った。 「そういう機械製品が透明で、中の部品まで見えるんだぜ。こりゃ、面白くないことだとは思わんか?」 「言いたいことがよく分からない」 「鈍いやつだな……中のメカニズムがあらかじめ見えちまうんだぜ? 分解する楽しみがないじゃないか」 「分解?」 「そうだ。小さいころ、買ってもらったおもちゃがどうやって動くのか気になって、バラバラにして確かめてみたことはないか? 」 「そう言われてみれば、ないこともないが……」 「だろ? そのとき、ケースの中に入って普段は見えないものが見えたとき、不思議な昂揚を感じなかったか? 自分のあずかり知らない理屈で動いてたものが、目の前に正体をさらして横たわってるんだぜ。壊れるかもしれないリスクを承知で、ここまで手を伸ばしてきた自分だけがこの秘密を独占してる、っていう錯覚かもしれないけどな」 彼は完全にテレビを放り出して、しゃべり続けた。珍しく熱のこもった話し方だ。 「とにかくこれは……素敵な感情だとは思わないか? シースルーじゃあこうはいかない。ただ漠然と、わけの分からない中身が見えてるだけだ。これじゃ、台無しだ」 「なるほど……」 そういえば、私はいつから、どうして、知ろうとすることをやめたのだろう? どんな機械も、それを動かすためのメカニズムを見えない内部に秘めているのだ。なぜ、その秘密を、手を伸ばせば届くところにある不思議を、掴み取ることをしなくなったのだろう? 部品を交換してまで使いつづけたあのステレオアンプは、どこへしまったままだろうか? 透けて見えればいいというものでもないのかもしれない。たとえ、優れたデザインの意思がそこにあったのだとしても……。 しかし、今はそれよりも重要な問題があった。 「で、このテレビ、直りそうかい?」 「ああ……」 彼はポケットからタバコを取り出し、火をつけ、深く煙を吸いこみ、吐き出した。 「駄目だな。どうも、面白くていじくってるうちに、完全に壊しちまったらしい。やっぱり素人が触るもんじゃなかったな。ま、いい機会だと思って新しいのに買い換えろよ」 なんだと? 「そんな、だって、ジョニー黒木がオールスターの先発に……パの代表に」 「まあ、野球を見るなら生に限る、ってやつだ」 私はとっさにテーブルに置いてあった缶ビールを掴み、思いっきり振り……彼に向かって勢いよく吹っかけてやった。 なぜそんなことをしたのか自分でもよく分からない。 後から考えると……まあ、ビールも生に限る、ってやつだろうか。 もう一本の缶ビールを奪って逆に注ぎかけてきた彼がなにを考えていたのかも、よく分からない。 プロ野球の優勝祝賀会のようになった。ふたりとも頭から脚までビールまみれでびしょびしょに濡れ、服は透けて、ひどい酒のにおいで……それなのに、大笑いしていた。 なにを考えていたのだろう、ふたりとも。 人の心は、たとえ外側がシースルーだとしても、機械のようにうまく見えてはくれないものだ、ということなのだろうか。 <Episode 3> 祝砲 [My, Ah, Girl] 大学に入って三度目の夏休み。今となっては贅沢な話だが……その自由な雰囲気は一週間もたたず退屈さに変わり、私は毎日寝転がって本ばかり読んでいた。 そんなわけで「温泉でも行こうぜ」という友人の誘いにはすぐ飛びついた。兄に車を借りて行ったその一泊旅行はまあ、気分転換になって楽しかったのだが……。 彼が運転していた帰り道、カーナビなどついていないポンコツ車は見事に山の中の細い道に迷いこんでしまったのだ。 別に急いで帰る必要もない私たち二人も、さすがに日が暮れてくると気がはやりだし、近道を探そうとするうちにますます山奥に入り込んでしまった。 彼は、急に車を止めた。 あたりは真っ暗。民家の明かりも見当たらない、舗装もされていない道路だ。 「おい、どうしたんだい? こんなところで止めて」 「ダメだ」 「君の方向感覚がダメなのはわかってるよ。とにかく進まないと……」 「お前だって似たようなもんだろ……そうじゃなく、ダメなのはお前の車だ。エンジンがおかしい。ちゃんと車検に出したのか?」 「いや……来月、だったかな。それに、兄貴の車だし」 「どっちでもいいけど捨てろよ、こんなボロ」 そう吐き捨てるように言うと、彼は乱暴にドアを開け、エンジンの様子を見ようとボンネットを上げた。私も、ダッシュボードに入っていた懐中電灯を持って、外に出る。 「……どうかな?」 「よくわからんが、やってみるか。おい、もっとライトを……」 そのとき、不意に背中の方で強烈な光が瞬いた。 振り向いた私たちの耳に、十数秒遅れて、重々しい破裂音。 「花火……か」 どこかで花火大会をやっているらしい。遠くの山の陰から、打ち上げ花火の巨大な光輪がのぞく。色とりどりの花火が、続けて幾つも打ち上げられていた。 「はん……こりゃいいや。作業がやりやすい。おい、ライトは持ってなくてもそこに置いときゃいい」 「ああ……」 そう言われて、必死でオイルまみれになっている友人を尻目に、私は近くにあった倒木に腰掛け、しばらく花火の上がっている方を眺めていた。 かなり盛大な花火大会らしい。色鮮やかな絵皿のような大輪の花火が、眩しいばかりの閃光を伴って次々と上がっては、消え、付近の山一帯に反響する立体的な爆発音を残して、今度こそ本当に消えていく。 一瞬で消えるもの、数秒間は残るもの、大きいもの、小さいもの、単色で終わるもの、様々に色が変化するもの……多彩だ。 「綺麗だな……」 山奥でエンストして遭難しかけている、という状況に突然訪れた意外な夜空の芸術に、私は自然と……あるいは不自然にもそう呟いていた。 「小さい頃、どうして花火はどこから見ても丸く見えるのか、なんて思った口だろう?」 そう言われて振り向くと、車の修理をしていたはずの友人は、タバコをくわえてすぐ後ろに立っていた。煙の匂いで、花火がすぐ近くで上がっているような、妙な感覚がする。 「まあ、言われてみれば……思ったかな」 「実際は球状なわけなのにな。爆発物なんだから、三軸方向に広がるのは当然だ」 「そんなの子供には分からない理屈だろう……」 「そんなことはないね」 彼は煙を吐き出しながら続ける。 「その錯誤は大人になっても至る所に見受けられる。実際は立体なのに、平面と見てしまう錯誤が。地球が平面じゃないなんて、言われなければ気付かないだろう? 現に、五百年ばかり前まではそれが常識だった。まあ、そもそも人間の網膜が平面だからな。俺たちは立体を見ることなんかできはしない。網膜に映された平面の画像を、頭の中で無理矢理に立体として再構成しているだけだ」 「なにが言いたいんだい?」 「なにも……」 彼は吸殻を投げ捨て、新しいタバコに火を点ける。そして、右手の指を立てて、まだ上がり続けている花火の方に向けた。 「仰角が約三十度。爆発から音の伝達までだいたい十秒。てことは……打ち上げ現場まで直線距離にして三キロ強。打ち上げの初速が秒速五十メートル、ってところかな。湿度と温度で音速の補正が必要かもしれんが」 「こんなときに、なぜそんな計算をするんだ?」 無粋な男だと思っていたが、こんなことを言い出すとは思わなかった。 「この程度の計算なら、どこでだって可能だ。だから、したまでさ」 不愉快そうな顔をして、彼は答えた。 「そういうことじゃないよ。あの花火を見て、ああ、綺麗だ、と素直に思えないんのか? まったく、いつもそういう実際的なことばかり考える、つまらないやつ、ってわけだ。こういう非常事態にこそ、ああいったものの美しさに目を向ける、それが人間らしい指向といえるんじゃないか? 君は、よくそういうことを言うよな」 「ッはン……下らんことを言うなよ」 「下らない?」 「下らないさ。花火を見て計算を始めるやつは、野暮極まりない、つまらないやつってか? 確かに俺は計算したよ。勝手に計算が始まった、と言ってもいいな。体はひとつ。で、意思もひとつか? 花火と同じさ。いくつもの火花、いくつもの色が集まったうえで、初めて花火になるだろ? 逆に言おうか。お前は、なぜ計算をしないんだ?」 「なぜって……」 「いや、計算をしているはずだ。それが意識されてないだけさ。分かったか?」 乱暴な口調で無理矢理そう締めくくると、彼はまた吸殻を捨てて、新しいタバコを取り出す。 「なんだ……」 「なにが、なんだ?」 「要するに、君もあの花火を綺麗だと思ったのに、恥ずかしくて言えないから小理屈をこねまわしたんだろ?」 「うるさい」 彼はそう言い放って、トランクを開けた。 「ほら、荷物を持て、歩くぞ」 「歩く?」 「ああ、車はもうダメだ。俺みたいな素人じゃ手がつけられん。だから、歩く」 「歩くって……道も分からないのに」 「人里のある方向は分かっただろ? 花火が上がってたんだ。人がいる。おまけに、距離もわかってるんだ。なんのために計算したと思ってるんだ?」 「あ……」 こうして私たちは、懐中電灯片手に暗い山道を歩き出した。 その途中で彼は「ま、実際、花火も綺麗だよな」と聞こえないように小声で呟いた。私は、その微笑ましくも恥ずかしい告白に、ずっと微笑んでいた。 これで無事に山を降りられればよかったのだが、私は失念していた。二人とも相当の方向音痴であることを。彼も忘れていただろう。 結局、山中で夜を明かすハメになり、朝方になって偶然通った地元の人の車に出会って、なんとか帰ることができた。 それくらい、不意に出会った花火に、舞い上がっていたのだ、二人とも。 花火と同じくらい、舞い上がっていた。 結局、私がこの無粋な男と二年後に結婚してしまうことになるのも、舞い上がっていたせいだとしか思えない。 |